【 2020.11.25 (水) 】(1年前の今日)
朝、実家に着いて恵子の靴下と包帯を交換した。
身体が曲げづらくて手が届かないので自分では困難だ。
普通の靴はもう履けないので
ゴムで伸びるスリッパみたいな靴を履いてきた。
お母さんも前日の夜中に帰宅してあまり寝てない。
それでもお母さんが朝食を用意してくれた。
予定外に突然来たため、元々作って冷蔵庫に入れてあった煮物を出してくれた。
「恵子が子供のころから好きだった白はんぺんは残ってるかしら」と探したら
底のほうから1枚だけ出てきた。
恵子が食べるのを見てお母さんは嬉しそうだった。
お母さんの料理はほんとうにおいしい。
恵子とまったく同じ味がする。
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お父さんは体調があまり良くないので家でお留守番。
実家の玄関を出るのもお父さんの顔を見るのもこれで最後になるだろう。
恵子とお母さんと3人で、僕のクルマでお兄さんが勤務中の病院へ向かう。
朝9時半まえ、病院の玄関では
情報を聞きつけた恵子の従兄妹のお兄さんが待ち構えていて
入院手続きに付き添ってくれた。
従兄妹と言っても子供の頃から本当の兄妹同然にいつも一緒に遊んでいた人で
僕も前回の正月に会っていた。
朝のうちはそれでもまだ一応自分で歩けていたし
入院書類の記名など恵子が自分で書いていた。
手続きのあいだベンチで待っていたり
血液検査があったりで昼過ぎまでかかったと思う。
その間、勤務中のお兄さんが忙しい合間に抜け出して様子を見にきてくれた。
待っている間にも急激に体調が悪化していく。
朝に比べて顔が黄色くなり
少しの距離も歩けなくなったので車椅子を借りてきた。
足から水分がどんどん抜けていくので喉が乾くらしく
ペットボトルの水を何度も買いに行った。
・・・
こうして一緒にいられるのもあと数分なのか?
本当にそれしかないのか?
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呼び出されて、入院する病室があるフロアへ移動する。
そして女性の看護師が何気ないタイミングでおもむろに
恵子が乗った車椅子を病室の中へ押して入っていった。
…え?
これで入院完了?
コロナでお見舞い出来ないしもう逢えないってこと??
混乱して思考停止で呆然としていたら従兄妹のお兄さんが
「最後にちゃんと話しをしたいから連れ戻してくれ」と訴えてくれた。
あの看護師はなんだったのだろうか。
連日のコロナ対応とかで疲れ果てて投げやりに仕事をしていたのか、
あるいは何も事情を知らず「この患者を向こうの病室に移動してくれ」
という指示を受けてただそれに従っただけなのか。
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連れ戻してもらって声をかけるより先に
恵子の前で二度目の涙が溢れてしまった。
恵子は相変わらず落ち着いている。
普段から言っていることだけど改めて目を見て伝えた。
「大好きだよ。愛しているよ」
「入院して落ち着いたら今から籍だけでも入れたい」
恵子は「うん、戻ったら今度こそ一緒に暮らそうね」と言ってくれた。
従兄妹のお兄さんが提案してくれて一緒に写真を撮った。
恵子は黄色い顔で、丸太のように浮腫んだ足で車椅子に座っている。
こんな状態だけどこの写真を撮ることができて本当に良かった。
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僕は翌日の朝から仕事がある。
これからすぐに帰れば普通に行ける。
このまま浜松にいてもコロナでもう面会は出来ない。
でもどうしても帰る気持ちになれなかった。
仕事なんかする気になれなかったし
逢えなくても距離の近い場所にまだいたかった。
それでお母さんに頼んで実家に泊めてもらった。
夜、風呂に入らせてもらって湯船の中で恵子のことを考えた。
今は何してるんだろう。
もう逢えなくなった。
とうとうこの状態がきてしまった。
振り返ってみても今までの中で
湯船にいるこの時がいちばんキツかったかもしれない。
自分で自分をどうすることも出来ない。
湯船のフチに頭を叩きつけて
それから自分の胸の中に腕を突っ込んで
心臓をガリガリとかきむしりたいような感覚。
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お母さんが離れの二階の畳の部屋に布団を用意してくれた。
正月に恵子と2人で泊まった部屋だ。
この部屋で1人で眠った。
