- 最期の 1ヶ月 -

2021年11月24日(水)《1年前の今日は…》【出勤→国立がんセンター→浜松】

【 2020.11.24 (火) 】(1年前の今日)

早朝6時半に恵子をクルマで迎えに行き、会社には定時よりだいぶ早く着いた。
「やりたいことも溜まってるし、今日しかないからもう行って仕事始めるね」
と言って会社へ入っていった。

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時間を潰して13時にまた会社へ迎えに行った。
女性事務員2名が恵子に付き添ってクルマの前まで連れてきてくれた。

会社の仕事は当然大変なことや理不尽なこともあるけど
恵子を含めたこの女性事務員3人組はとても仲が良くて結束が固く
いつも協力して乗り越えてきたとのこと。

最後に「待ってるからね!」と言って送り出してくれた。

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恵子の2人のお兄さんとお母さんの合わせて3人が浜松からクルマで来た。
14時半に国立がんセンターの前で待ち合わせ。

正月に初めて会ってご挨拶してからこの時まだ2回目。
お盆はコロナで浜松へ行くのをやめていた。
こんな形での再会は残念だ。

入院中でも大きな画面で顔を見て話せるようにと
ノートパソコンをわざわざ新しく買って持ってきてくれた。

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みんなで先生の話しを聞く。
「もう治療は不可能」
「来年の東京オリンピックを見ることは絶対に無理」
「年を越せない可能性もある」

元々は翌日25日(水)から国立がんセンターに入院する予定だった。
しかしこれ以降はできる対処はどこの病院でも同じなので
国立がんセンターに入院するよりも
自宅近くか浜松の病院へ入ることをすすめられる。

まあ病院側の立場からすれば
最高峰の医療技術や人員は
助かる可能性の高い患者に対して使いたいだろうし。
仕方がない。

国立がんセンターの先生と、医師の恵子のお兄さんが2人で別室に入った。
お兄さんが職場の浜松の総合病院の同僚の先生に電話をかけた。
その3人で相談してもらい、判断を任せることにした。

結果、明日の朝9時半から
浜松で入院できるようになんとか手配した、とのこと。
コロナで家族でも面会はできないけど
お兄さんのいる病院なら勤務の合間に様子を見に行ってもらうことができる。

2人のお兄さんはそれぞれ翌日仕事があるため
お母さんを連れて先に浜松へ戻ってもらった。
僕と恵子は荷物をまとめるために部屋へ帰った。

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出発準備が出来たのは午前2時くらいになってしまった。
相変わらず恵子は冷静なままだ。
玄関を出てドアの鍵をかけたら
もうこの部屋に戻ってこられる可能性は極めて低いのに。

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クルマの窓から見える住み慣れた街の景色が遠ざかっていく中で聞いてみた。
「見た目では落ち着いて見えるけど、冷静なふりをしてるの?」
「だいぶ前からなんとなくわかっていたことだしね。大丈夫だよ」

僕を安心させるためにウソを言っているのかもしれない。
でも、ウソではないように僕は感じた。
普段からお互いに変に自分を装ったりはしていなかったから。

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真夜中の高速道路を走りながら考えた。
「朝が来て病院へ連れていったらそれっきりもう逢えないのか?」
「一緒にいられるのはあと数時間しかないのか?」
「明日の今ごろはもう・・・」
とても信じられなかった。

途中仮眠休憩しながら、翌朝7時ころ浜松の実家へ着いた。