【宮本恵子さんについて】
宮本恵子さんについてお伝えしたいことがあります。
突然のことで驚かれるかと思いますが、落ち着いて読んでいただければと思います。
一番最初は、9月20日頃からなんとなく咳が出始めました。
2週間たってもおさまらないので10月7日に近所のクリニックに行き、咳喘息と言われました。
しかし、そこでもらった喘息の薬を飲んでもまったく改善しないので改めてそのクリニックへ行きました。
念のためコロナその他肺炎の検査もしましたが、肺はきれいでした。
ただ肝臓の腫れが気になるとのことで総合病院(日本医科大学武蔵小杉病院)を紹介され、10月30日〜11月2日まで4日間入院して検査をしました。
血液検査やMRI・大腸カメラなども行った結果、11月7日に大腸ガンで肝臓にも転移しているという確定診断を受けました。
その後、築地の国立がんセンターを紹介してもらい、そこで改めてさらに詳細な検査をしました。
その結果、11月19日には肝臓のほぼ全体がガンになっているということが判明しました。
その時点で既に手遅れの状態で、来年のオリンピックを見ることは絶対に不可能、春の桜を見られたらかなり上出来、年を越すのももしかしたら難しいかもしれない、と言われました。
死ぬ覚悟で抗がん剤治療をやってもいいけど効果はまず見込めないので、残された時間をいかに苦しまずに過ごせるかを考えた方がよいと強く勧められました。
この段階になると日本最高峰の国立がんセンターでもそれ以外の病院でも、出来ることは同じだということでした。
それで、11月25日に恵子のお兄さんが医師として勤務している静岡の浜松医療センターへ入院しました。
お兄さんは小児科医なのでガンは専門外ですが、同僚の医師にいろいろ相談してくれて最大限の配慮をしてくれました。
確定診断を受けた11月7日あたりから症状の悪化のスピードがどんどん速くなっていたのですが、浜松に来て以降は朝と夕方では全く違うくらいにあっという間に弱っていきました。
意識が朦朧とする中、恵子の名前を呼ぶと目を大きく開いて何度も必死に反応を示してくれました。
そして入院翌日の11月26日の16時23分に恵子は亡くなりました。
途中、かなりの激痛に耐える時もありましたが、最期は恵子の二人のお兄さんたちと、恵子のお母さん、そして僕が恵子の手を握る中で、みんなに見守られながら静かに眠るように息を引き取りました。
みなさま、恵子と仲良くしていただいて本当にどうもありがとうございました。
